悪しき初心を呼び覚ますイベントについて

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2023年ごろから文学フリマというイベントに参加している。

次の5月の東京開催はなんと出店ブースが4000を超えたらしい。
だからといって私個人のやることは少しも変化がないのだが、正直言って数に踊らされ、悪しき初心に帰りそうになることが時々あるので戒めておきたい。

唯一避けるべきスタンスがある

劣等感に苛まれつつ自分が作った本を扱うことは、断じて避けたいという思いがある。

その思いを自覚しなければ拡大する規模に怖気づき、くだらない時間を過ごすはめになる。全く無駄だ。

読まれたいのに思ったほど読まれない。
労力をかけたのに報われない。
あの人より自分の物の方か価値があるのに……
どうせ私の書いた物なんか価値ないんだ!

劣等感は比較対象が多い場所で私にとって、最も抱くのが簡単で、普遍的かつ平凡極まるつまらない感情で、それに囚われるのは単純に楽をしていると言える。そう、楽をしている。
だからこそ、その程度の感情しか見つけられずに帰路についた日には、参加するまでの体験を完全に無駄にしていると断言できる。語るに値せず、つまらなく浅い上に、そこに帰着してしまう以上、心底頭が非常に悪い。
唯一避けるべきスタンスだと考える。
馬鹿のレッテルを自分で貼るために時間を割くのは無能だろう。

とはいえ、なぜこういった考え方が最も安易であるのか。
それは恐らく自分と成果物を同一視しているからだ。

結局のところ、愛着、思い入れ、そう言ったものが労力をかけた成果物には宿りやすい。
それ自体悪いことではないが、その気持ちが大きすぎると成果物の価値が自分の価値だと誤認しやすくなる。
物として顕現させてしまった以上、他人の成果物との比較も容易になる。

そして劣等感は現実世界同様、自己評価が低く自信がないものほど囚われやすく、自意識過剰にうじうじとだらしなく気にする。
見向きもされないことで他人に否定された気になる。
軽く扱われたと勝手に解釈し傷つく。
真実、否定されてもないし軽く扱われているわけでもない。
単に他より興味を持たれていない。関心を持つフックがないという客観的事実だけで、それは嫌悪感を抱かれるよりも余程無害で胸を撫でおろすべきことである。劣等感は見当違い甚だしい。

日常世界を振り返ってみればそう扱われるのがベストであると信じて毎日行動している側面も多い。
昨日の君をおもいだしてみたまえ。
大衆の中で目立ちたい、唯一の価値を認めてもらいたい、自分はもっと評価されても良いのに!
そんな風に願って行動したか?
行動してない。
だとしたら、例え想定外に見向きをされなくても、それは慣れ親しんだ日常と言える。
偉い!日々の行動の成果がちゃんと出ている!!偉いぞ!!

さて、ではなぜ比較対象が多いイベント会場で、自分が無価値であるという考え方、妬みや嫉妬感情が安易であるのか。日常世界同様ひっそり潜んでいたくないのはなぜか?

答えは、他人への礼儀を欠いているからだと思う。
それが具現化した成果物と一緒に、分かりやすく表層に出てきているのだ。

私は世間体を気にする。
他人に見栄を張りたい気持ちもあるし、自分より経歴が立派な人に引け目を感じる。自分が頑張ったことは他者にも評価されて当然な世の中であってほしいと思っている。
そういう守るべき自己中な自尊心がある。しかしそれを明示すると相手を困らせる上に自身の貧乏くさい根性を露呈することに他ならない。また、自分がそうすることで、相手にもそういう風に振舞ってほしいと思う自己中さも持つ。
だから、やはり世間体を気にするならば、そういった自尊心は見えないように仕舞っておくのが吉であると思っている。

しかし、己から分離した成果物を半端に己の一部とすると、理性的な礼節だけを忘れ、隠しておくべき恥ずべき部分がまろびでやすくなると感じる。
新たに誕生した物体をまるで自分自身のように考えてしまうにも関わらず、物理的距離の遠さから、当事者意識、つまり近い未来に自分が被る損害が抜け落ち、世間体を気にして劣等感をしまっておく礼節を欠くことになるのである。
なんて恥ずかしいことだ!!!

私は、他人に劣等感を抱くことをしたくないのである。隣のブースが1000冊、10000冊売れても、それによって1ミリたりとも影響を受けたくない。
そういうものに私はなりたい。
……根本的な原因は、日常的な考え方の癖にある。
自分が自分に課している幻の劣等感を早々に手放せば、こんな幻の貰い事故も起こるはずがない。

わざわざ本を作って出店する。
だとしたら、この根本の問題に向き合い、解決する一つの演習会場だとみなす方が絶対に有意義である。
くだらない感情をゼロになるまで滅却しよう。

幸いにして、この1年くらいに関して言えば、この癖が徐々に抜けてきている。
それに伴い日常でも自分の意見をそっと表明する練習も積めてきたとも感じる。
真に楽しいと思える比率が確かに増加している。

感情は移ろうが、日常生活の捉え方も変わっている。

安易な感情に踊らされず、己を指針として、今後ものらりくらりと生活の一部として参加したいと思う。

ここにくだらぬ初心を戒め記しておくとす。

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