超さんぽ日和。

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春じみたのどかな日差しの中、昨日読み終えた三島由紀夫さんの「仮面の告白」について考えました。

文豪の本

幼年期から読書は趣味として続けてきたが、私が興味を抱くのはエンタメジャンルが多く、純文学、文豪の作品にはどうも手を触れずに来た。

小説を書くようになってから、どうにもそれが悔やまれたので名作と呼ばれる本を読み始めている。

感想をまとめるのは中々に労力がかかるので、感じた所感をメモ書き程度に書き留めておく。

仮面の告白、感想走り書き

振り返って驚くのは、ここまで詳細に心情をあけっぴろげてしまっていいのか、という驚きだったと思う。

今何を読んでも、「なんかあっさりしてるな」という感想を抱いてしまうに違いない。

エンタメにしろなんにしろ分かった気になるのは簡単だ。
でも、ここまで親切に分からせてくれようとする心情描写には、正直ドン引きしてしまう。
すごいと思った。見習いたい。どうしてここまで超個人的なことに筆を尽くして赤の他人である読者を退屈させないのか。不思議でならない。

このお話は、著者の私小説的な側面を持っているとのことだ。
昨今、文学フリマやZINEフェスなどでもエッセイジャンルが盛り上りを見せている。
いつの世でも誰しもが自分への興味は一生かけても尽きない。
しかし、ここまで辛抱強く感情を分解する犠牲を払いたいと思う人は一体どれだけいるんだろうか。


表現するということは楽しいが、楽しいだけをなぞるうちは現実世界同様群衆の中の、自分にのみ価値ある一つ、その程度の特徴しか持つことができないかもしれない。

思ったこと、考えたことなど、楽に出力できる範囲に特異性を持った人は特別、言い方を変えれば異常者であり、その先の奥にこそ個性だとか個人の視点が浮かび上がる。
だからこそ、楽しかったです。面白かったです。凄いと思いました。そういった一言で表せる感想に帰着する程度では、後から振り返る価値もないただの記録にしかならないと感じた。

しかし根気強く、誰に強要されたわけでもなく自身の赤裸々な性癖を文学の形にまで仕立て上げて、他者に見られる形にまで服を着せる。
一体何が著者にここまでさせるのか。後の評論家に「この本は三島の私小説」となど言われて堂々と往来を歩けるだろうか。なんのために……なんのためにここまで書くのか。ある種、マゾ的な性欲の現れなのだろうか。
しかし作中の主人公はどちらかと言えばその真逆の欲求を持っており、私は混乱した。

ある種研究なのかもしれない。

以前見た人工知能の開発者のドキュメンタリーで、なぜ人工知能の研究をするのか、と問われた人が「人間を知りたい。どのように生まれたのか知りたい」といった話をしていた。

自分の頭の中にあるブラックボックスを全てクリアにしたいという欲求。

作中の主人公は自分が果たして「他の人間と同じなのか、異常なのか」という自問自答を繰り返している。
性的趣向の特殊さに不審を覚え、幼少期からの体験、選択の数々を振り返っている。
その全てが、月並みな表現をすれば「恥」に属する思考であると感じる。

私はこの本の中の自分と異なる感情について様々思うところがある。
重なる部分もあればドン引きの部分もある。コイツやべ~という冷やかしの部分もあった。

しかし、読後感じるのは圧倒的誠実さ。自分が自分に対して一片の嘘もつかない。許さない。誤魔化しを暴き立てるような脅迫的な潔白さへの執念。そういうものを感じた。

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