冷蔵庫のチーズケーキと美しさについて

スポンサーリンク
雑記帳
雑記帳

人間誰でも美しい人、すなわち美人になりたいと思ったことはあると思う。男も女もある程度物心ついてるならば。

でも、美人ってどんな人のこというんだろうか。外見的なことは、好みでひっくり返ることもあるし、美人の定義とは言えないと思う。内面的なことだって同じだ。

でもそう考えると、「美」は好み以外にひっくり返されることはないような気がする。私は”これが”美しいと思う!という感情は、他人にはくつがえせない。

つまるところ、美人になるために追い求めるべきは、世間一般的な美とされる基準より、自分自身の「好み」なのでは?と私はコンビニまでの旅路の間に結論づけた。おそらくそちらを目指すほうが、コロコロ基準を変える美よりも長い目で見て満足度が高かろう。

じゃあ私が追い求めるべき好みとはどんなものか。

正直なところ、私は外見に関して無頓着である。

流行の服やブランド物に興味はないし、化粧もめんどくさい。ファッション誌を見ても「みんな綺麗ね~」という感想は抱けど、好みであるな、と感じたことはない。

「好み」っていうと、少し違和感がある…。好み、ではなく「目指したい美人さ」とかのほうが近いのかもしれない。「憧れるきれいさ」とか。100%好みの顔という意味では、多部未華子さんがかわいいなと思う。

しかし、そんな私でも、「なんてきれいな人なんだろうか」と見ほれた人がいた。

それは、トリノオリンピックでトゥーランドットを演じたフィギュアスケート選手、荒川静香さんである。

初めて見たのは私が浪人生として死にながら生きていた時だ。オリンピックからすでに数年経っていて、動画サイトでたまたま見つけて再生した。画質も音質も今よりはるかに悪かった。

しかし「宇宙人が地球を侵略しようとしたとき、この演技を見たら絶対考えを改めるだろうな」と本気で思った。これはリアルタイムで本当に思った。

どこがそんなに魅力的に映ったんだろう、と考えてみると、おそらく

よく動くから

という理由が思い当たった。もちろん他の理由もたくさんあるが、それが大きな理由であることは間違いない。

フィギュアスケートはよく動く。そりゃ当然なんだけど、私はあんなに動きまわる人を見る機会は少なかった。いつも見る美しい女性の多くはファッション誌やネット記事の中でピクリとも動かない。加えて、動く速度だって氷の上を滑っているから速い。だから余計に目が離せない。

荒川選手は広いリンクいっぱいに動いているにもかかわらず、終始優雅だった。そして所々で見せる演技ではない笑顔が美しいと思った。

あの美しさに私は憧れている。

ご存じの通り、荒川選手はトリノオリンピックで金メダルをとった。

私が見た美しさは、荒川選手の体の内側から出てきているように感じた。世界の技術がとんでもなく進化して、寸分違わぬ荒川さんロボを作り演技をコピーしたとしても、それでは私を感動させるには足りないのだ。

演技を通して、私は見えるはずのない荒川選手のこれまでをほんの欠片だけ見た気がする。

それは私の乏しい想像力によるものだから、選手の努力とか思いだとか、そういったものの何千、いや何万分の1にもならないだろう。しかし、演技の一瞬一瞬には写真とは比べ物にならない情報が含まれていて、その情報は何も知らない私の単純な脳みそに達したとき、「なんてきれいなんだろう」という感想を抱かせた。

私はあの美しさをどうやって手に入れるのか分からない。

分からないなりに分かるのは、一朝一夕では身につかないということくらいか。でも近づきたいとは思っている。

誰しも美しい人になりたい願いは持っていても、それを実現できるのは一握りだ。美しさを求めるのはしんどいしめんどくさいのだ。常に理想とは違う自分と向き合わなければならないし、自分で自分を鼓舞しつつ努力をしなければならない。多くの人がそれに耐えきれず現状を維持することを選ぶ。私もそうだ。

私は100歳まで生きるつもりだから、人生4分の1が過ぎたところだ。現時点での私と”憧れる美しさ”との距離は天と地ほどのものだろう。死ぬまでにじわじわと距離を縮めたいところではある。

夜9時を過ぎてコンビニから戻った私は、縄跳びをもって外に出た。

とりあえずは3日坊主でも構わぬ。できる努力を今しようと思った。

コメント

タイトルとURLをコピーしました