「昨日、家の玄関開けた時に蝉が一緒に入ってきて焦ったわ」
隣の席に座る同僚がそう言った。
「へえ!何ゼミでしたか」
「つっこむところ、そこじゃないでしょ」
確かにそうだ。
蝉の種類別の思い出
私が蝉の種類をやたらと注視してしまうのには恐らく蝉との思い出が関わっている。
最も印象的な思い出は祖父母と行った夏祭りだ。
確か小学校低学年か中学年くらいの時だと思う。
夜の暗がり、盆踊りの音楽を聴く最中、右足の脛あたりを爪で引っ掛れるような感じがした。
何気なく目をやれば羽化前の蝉が私の足をうんしょうんしょと登っているところだったのだ。
私は「蝉の抜け殻」が動いている様に大層驚き、半泣きになりながら祖父にとってもらった。
その数年後の夏、弟が夏休みの宿題の題材に選んだのが蝉だった。
彼は夏休みの間どこにいっても蝉の抜け殻を集め続け、それを几帳面に模造紙に並べて貼った。
夏の終わり、その模造紙を掲げ持ち満足げな笑顔で弟は写真を撮った。
抜け殻は種類ごとに分けられ、確かアブラゼミが一番多く、つくつくほうしが一番少なかったように思う。
祭りの日に私の足を登っていたのはアブラゼミの子どもであったと彼の自由研究によって気付かされた。
高校時代、合唱の練習中に教室に飛び込んできて暴れまわった蝉はミンミンゼミ。
私の住居の廊下で死んでいるのは大抵アブラゼミ。
不安と郷愁を連れてくるヒグラシ。
静岡の山で聞いたクマゼミの声。
気付けば私は彼らの種類を明確に判別しようと躍起になっている。
夏を思い出すと蝉の声がする
夏を象徴する心地よい音はたくさんある。
風鈴の音、氷が解ける音、プールの中を泳ぐ音。
しかし、多くの人が夏の思い出と一緒に思い出すのはあまりにうるさい蝉しぐれだ。
うんざりするような爆音も思い出の中では味がある。
むしろ蝉の声がない夏なんて物足りないとまで思ってしまう。
ぜひ各蝉のみなさまには目いっぱい鳴いて夏を盛り上げていただけたら、と私は今年も密かに期待を寄せている。
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