久しぶりにマックに来て、ポテトの塩で唇をピリピリさせながら書いている。
思えばマクドナルドと言うのは私が物心つく以前から、ずっと「パン」と「パンの間に挟んだ何か」でファストフードの最前線を走っている。
すごいもんだなと改めて関心してしまう。
私はさしてマックに対しありがちな青春じみた感慨深い思い出を持たない。
学校の通学圏内にそもそも店がなかったのだ。
なのにマックでハンバーガーをかじっていると、なぜか自分にも青春じみた思い出があったと錯覚させられる。
不思議だ。私だけでしょうか。
あの強制的な思い出(ないのに……)補正効果なんなんだろう。
まざまざと思い出される友人との放課後の記憶は一体どこから湧いてくるのか。
多分だけど、孤独感から湧いて来るんだと思う。(大真面目)
マックほどグループ席とカウンター席が近い位置に誂えられている店ってあまりないと感じる。
グループ席に背を向けるように設けられたカウンターにはそこそこいつも人がいる。
私にとってのマックでの定位置もそこだ。コンセントあるし。
するとどうなるか。
背中で人の会話を聞くことになる。
グループ席と横並びの二人席に座っている場合、なんとなく横目で気になる人を伺い見ることもできるが、背中を向けている以上振り向くわけにいかない。
聞き耳を立てる他ない。
すぐそこで繰り広げられる同じ年頃の友人同士の会話というのは親近感を抱くのに絶対に混ざれない。
圧倒的「壁」を感じる配置なのだ。マックは。
いや、それもまた配慮の形なのだとは重々承知の上なのだれど。
結果的にそれが私の孤独感を強めたと考えられる。
つまり私は、稀にマックに入るたび、よその青春会話を背中で聞くことを重ね、その隔たりを勝手ながら強く感じ、孤独を感じるというプロセスを無意識のうちに踏んでいたのかもしれない。
その孤独を誤魔化すために思い出を捏造しているのかもしれない。
だからマックに入ると郷愁じみた懐かしさと寂しさとデジャブみたいな心地を感ずる。
また、ハンバーガーというのは、そういった心持で食べるとあっという間になくなる。
包み紙をまるめるのも食事終了の儀式めき、なおさら終わりを引き立てる。寂しさに拍車をかける。
……どうしてこんなに悲しい気持ちになるんだろうね。
こじつけて考えてみたが、実際のところ真相は分からない。
ちなみに、私が最も楽しい気持ちになるファストフード店は丸亀製麺である。
これの理由は簡単で、終業後にばっか食ってたからだ。
仕事の後のビール、と同義なんだろう。
喉ごしも似てるし。


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