朝、電車に揺られていて、ふとスマホから顔を上げたら正面に女子高生が座っていた。
足の間には紙袋が置かれている。そこそこ大きい。
服屋で、コート買った時とおんなじくらいの大きさである。
大分でかかったね。
その中には小分けに包装されたカップケーキが山もり詰め込まれていた。
袋の口を結んだリボンの色が様々ある。
そう、様々あった。
見えるだけでもラベンダー色と薄荷色と白、黄色があった。パステルカラーで可愛く統一されていた。
家に貯めてあったケーキの箱の使い回しなんかじゃない、ピンと張りのあるリボンだった。
そんな彼女の長い髪にも、リボンがくっついていた。
バレンタインか今日……!!(正確には明日)
忍ばされた差異について
今時の若いモンもバレンタイン文化踏襲してんだ。
まずそんな感想が沸いた。
昨今の若者事情に詳しくないし、そんな文化から離れて久しいので単純に忘れてた。
彼女の足元の紙袋は、私を甘酸っぱい青春の時間の歪みにねじこまんとしてくる。
……昨日のマックの件から引き続き、些細なことで微妙に傷つきやす過ぎるだろう私。
呆れちまうねしっかりしたまえ(叱咤叱咤!)
紙袋から覗くリボンの色が、とても気になる。
全何色あるんだろうか。一色あたり何本あるんだろうか。
見た感じ、袋の中のケーキの数は20と少し入ってそうだ。
その中に、たった一本きりの特別な色のリボンが潜んでいるんだろうか。
口実文化の逆転
バレンタインは、女性から男性への愛の告白、友人同士のレクリエーション、性別関係なく感謝を伝え合う行事とかチョコレート会社の陰謀とかいろいろな見方がある。
中でもやはり根強いのは、「チョコレートを口実に愛を伝える」という見方だろう。
いいと思う。
私は令和を生きる大人としては珍しく、職場でのチョコのやり取りもやぶさかじゃあないタイプである。
「お返しは三倍ね」なんて言うつもりはさらさらないが、年に一回くらいならお金を出し合い行事を楽しむのも良いと思う。
我々は口実がなければ感謝一つ、慣れた相手に伝えられない生き物だと思うので。口実大事。
面倒くせぇ~と思う気持ちもあるっちゃあるけど、なんだかんだお返しのお菓子を楽しみにしたりなんかして。
楽しんでるのだ。
しかしふと今、自問自答をする。
はて近年、そこに本当に感謝はあっただろうか。
チョコは、口実だっただろうか。
感謝、なかったかもしれない。
私の中でバレンタインは、ただ「美味しいお菓子を食べれる日」になってしまっていた。
義務的義理菓子の応酬にかまけ、真心的なものはなかったかもしれない。
うんなかった。
慣例に流されてた。
そもそも職場でのそういう気の遣い合い、あんまり好きじゃなかったかもしれない……。
……自信なくなってきた。
口実ってなんだっけ……忘れちゃった……
……そもそも、そもそもだよ。
口実に好意を、口実に感謝を、口実に愛を伝えたい、とか、そんな遠回しなことを年に一回やる暇あったら、そんなことより、本音で感情を吐露する日っていう、よっぽど大事な日は一体いつ訪れてくれるんだ?
初心に帰るべきじゃあないか?
伝えたい感情ってのはさァ、口実なんて用意せず、次に顔を合わせたその時にでも、いついかなる瞬間でも、伝えた方がいいことなんじゃ?きっとそう。
…………もしかして
だから食べ物を送るんだろうか。
「伝えてやるから答えてくれよ」的な?
要するに、
女性から男性への愛の告白
友人同士のレクリエーション
性別関係なく感謝を伝え合う行事とか、チョコレート会社の陰謀……
そんなん全部やっぱりちゃんと口実で、真の目的は、「教えてやるから聞かせてくれよ。君の本音を」ってこと?
……違いない。そうに違いない。
だって、自分の気持ちを伝えるのはやっぱりいつでもできることだし忘れちゃダメなことだろうし。
しみじみバレンタインの生い立ちに思いを馳せる。
私的にバレンタインは、
「気持ちを伝えるのではなく、気持ちを伝えた相手の本音を聞かせてもらうための行事」
ってことで、ファイナルアンサーQED.証明終了ってワケ。


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