夏の富士(賞味期限切れ)と微妙な価値基準

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雑記帳

両親と賞味期限切れの羊羹を食べた。
それもただの羊羹ではない。
老舗「とらや」の羊羹である。
もう一度言うが、賞味期限は8月17日に切れた。
およそ一カ月前である。

それは、夏の富士山を寒天と抹茶羊羹を組み合わせて表現した雅な品で、見かけは涼やかだし大変に美味だった。

その後に、スーパーで売られている安い水羊羹が一つだけ冷蔵庫に余っていたので、父が食べている。
私は言った。

「そんなん、安い羊羹が可哀想じゃん」

安い羊羹だって美味い。しかし、前座がとらやの羊羹じゃ形無しである。
安い羊羹なりに頑張っているのに、その頑張りを無にするような食し方はあんまりじゃないか。

母が言った。

「いや、高い羊羹のが嫌でしょ」

せっかく上等な羊羹であるのに、それ1つで満足せずに味が劣るものを直後に食べるのは無礼だと言うことらしい。

「いや、安い羊羹の方が気の毒。心中お察しして余りある」

私はなおも言い募る。
ちなみに、我が家では賞味期限が一カ月切れたところでとらやの価値は不動であった。

当の父は、どちらでも、どうでもよいようで、2つの羊羹を同様に「美味い」と表し、夜のおやつタイムをとっくに終えているのであった。

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