人生が生きづらくてしんどい理由

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人生について
人生について

「すごいね」

大学時代、飲み会の席で私が人よりたくさんお酒を飲むと先輩は楽しそうに私を褒めた。

何がすごいのかは分からなかったが、先輩が褒めてくれたのが嬉しくて私は素直にお酒を飲んだ。
大して面白くもない話に相槌を打ちながら、会話に沈黙が生まれそうになる度、私は冷たいジョッキに口をつける。
私のジョッキはすぐに空いた。


ビール、ウイスキー、雑に作られたカクテル。
美味しいと感じて飲んではいない。


あの時を思い返すと我ながら「馬鹿だな」と笑ってしまう。
私は他に褒められるべき部分が少なくて、褒められて勘違いしてその後もよくお酒を飲んだ。
「あいつはお酒をよく飲む」という阿保みたいなレッテルが、他の人とは違うアイデンティティを手に入れたと信じていた。


まったく、なんて、くだらない。


あの時褒めてくれた先輩達が、立派な人間ではないことを私はもう知っている。
ただあの時はなんとかその組織の中で必要とされたくて必死だったのだと思う。


人から褒めて貰って自分の価値を見出してはいけない。
その人を心から尊敬していたとしても、それで得た自尊心なんて偽物である。
それらで積み上げた自信なんて状況が変わればすぐに飛んでいってしまう。
結局自分で下した真っ当な評価でしか自信は積み上げられないと思う。


なんとなくそれを理解し始めた私は26歳になっていた。

蓋を開ければ自信を持てることなんてほとんどない。
自分の価値なんてちっぽけ過ぎて、今までいったい何をしてきたのだとポカポカ過去の自分を殴りたくなる。
しかし、私にまでそうやって殴られる過去の自分がかわいそうで、毎度終いには頭を撫でて甘やかす。

そして何度も現状に至る。悲しくてふがいなくて涙がこぼれる夜だ。


世界は残酷である。
なぜなら私の人生が悪い方向に転んだところで世界はいっこうに構わないからだ。
どこでのたれ死のうが、可哀そうな私を愛でて部屋に引きこもっていようが、どうでもいいに違いない。
それについては皆、きっと理解はしてるんだろう。信じたくはないけれど。


今の私はこれくらいしか分からない。
何年後かの私はもっと分かっているのだろうか。今考えていることが全くの間違いであると否定すらできるかもしれない。


人生は生き難い。しかし足掻かざるを得ない。

明日も頑張れ、世界中の私たちよ。

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