旅先、雪が残る街の喫茶店にて
その日私はチーズケーキが美味しいと評判の店に来ていた。
白いテーブルクロスがかかった机に肘をついて、頼んだケーキを待っていた。
連れはいない。
手元には読み聞けの文庫本がある。たくさんの人が死ぬ本である。
行く先々で私はそれを20ページずつ読み進めていた。
今日入った喫茶店は3軒目だった。
久々の旅行だったので、私は少し浮かれていて、評判の良い喫茶店をはしごしていた。この数時間の間に甘いものをたくさん食べた。
この喫茶店で60ページ目を読んで、宿に戻る予定である。
本を開く。挟んでおいた栞を抜いて文字を追った。
白いケーキはさして待つことなく運ばれてきた。
本の中では少女を殺した犯人が暴かれようとしていた。
文庫を閉じて、かわりにフォークを持った。小さくケーキの角をすくって食べる。
白いケーキは舌の上ですぐに溶けていった。
私はティーサロンの中央のあたりの席に座っていた。テーブルの縁はどこも壁に触れていない。
にぎやかなサロンの中でも、私のテーブルは他より小さく、空いたスペースを埋めるように配置されていた。
おやつ時のサロンは混んでいた。背後から女性グループが話す声が聞こえる。息子の結婚相手について各々意見を述べている。
すぐ隣のテーブルの上の本の中では、何人もの人が殺されているのに呑気なものだと思った。
動員、そして開廷。
「道を違えたのかい」
連れはいなくとも、私の周りは賑やかだった。
頭の中にはたくさんの人がいる。私は客観的に物事を見るのが苦手で、悩みを一人で長く考えることができない。そのため、結論を出したい考え事があるときは、脳内に住むキャラクター達を必要な数だけ動員し、議論してもらっている。
彼らはケーキの味そっちのけで、それぞれ支離滅裂なまとまりのない意見を話す。
私は耳を傾けながらもひとまず舌に集中する。ケーキはそこそこ高額だった。片手間に食べるには惜しい。
「今の君が1番若くエネルギーがあるのだ。今動かずしていつ動くというのか」
「時が来てから動くべきだ。懲りずにまた失敗を繰り返すつもりか馬鹿者」
「そもそもなんのために?」
「「それはより良い人生を歩むために」」
「より良い人生とはどんな人生なのだ」
ケーキは2層に分かれていた。
上の層は柔らかいが後味に濃いチーズの味がする。下の層は少し固く、舌を当てればほろほろと崩れた。
2層同時に食べれば2倍美味しいと思った。チーズケーキ界の優等生であるな、などと頭の悪い感想を抱く。
「より良い人生とは自分の存在意義を確信している人生だ」
「存在意義」
「存在意義とはなんだ」
「どうしたら存在意義を確信できるのだ?」
どうしたら、と聞かれると困る。
なぜなら私は私にさして存在意義を今、感じていないからだ。だから分からないのだ。
「人に認められたらだろうか。それとも自分で認識するべきことなのだろうか」
「やはり自らの意思で充足感を得ることではないか」
「ではそれはどうしたら得られるのか」
「人から認められると満たされる」
「ループしている。解決にならぬ。」
「形のあるものを生産することで満たされる」
「形あるものを生産し、人から感謝、認められると満たされる」
「結局他人ありきではないか。自分だけで満足できないというのか」
「だって褒められると嬉しいし」
「では人から褒められることが私の存在意義なのか?」
「それはなんか嫌だ」
チーズケーキの最後の一欠片はあっけなく溶けた。
なぜ嫌なのか。
ちやほやされれば少しは満たされるはずだ。
私はちやほやされたいがために頑張ってきた部分が少なからずある。間違いない。
「ならどうして嫌なのか」
なぜ「なんか嫌」なのだ。
色々な人からすごいすごいと称賛されて、私も自信を持ち、裕福な暮らしをしたら今より満たされると思う。
しかし、それはあくまで周囲の人々がすごいと思うからであり、私がそれをすごいこととして納得しているかどうかは別の話だ。
「おそらく私は他人に自分への評価を全てゆだねたくはないのだと思う。」
「なるほど、まず、自分自身での評価があって、それに共感してほしいのだね。」
一理ある。間違いない。しかし、
「いや、私は私が尊敬する人たちにすごいと思われたいのだ」
「「「なるほど」」」
彼らは揃って頷いた。私はスマートホンのメモに「尊敬する人たちに一目置かれたい」と書き留めた。
「君は好きな人たちに認められたいんだね」
その通りだった。
大勢の人に認められたい。しかし、私が好きな人に認めてもらえないと悲しいのだった。私ははっきりと態度で表すことは少ないが、平均よりも少し、好きな人たちに傾倒する質の人間だった。
「では、好きな人に褒められ、認められ、かつその評価に自分も納得できていると、君の心は満たされて人生がより良くなるのだね」
おそらく間違いない。現時点では。
今後変わる可能性がある、という前提を確認しつつ、私達は揃って頷いた。
「では、なんの取り柄もない君がどうやって立派な彼らに認められるのか」
それか問題だ。
彼らは揃って首をひねって沈黙する。
中断、そして解散。
紅茶の最後の一滴はすでに冷たかった。
カップを置いて空になった皿をながめる。私は記念に1枚、空の皿の写真を撮った。
窓からオレンジ色の西日が差している。
この土地は日が落ちるのが早い。まもなく外は暗くなって、オレンジ色のガス灯が灯るだろう。
店内には空席が増え始めていた。
私は残りの8ページを読むべく、文庫本を広げた。読み始めてすぐに、少女の犯行が暴かれる。
しかし、私は知っている。
犯行を暴いた主人公もこの後人を殺すのだ。
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