スーツケースの取っ手の話

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雑記帳
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旅行に行く頻度は少ないが、スーツケースを使う頻度はそこそこある。
自作本の行商(同人誌即売会への参加)に行くからだ。

本のすごい重さ

機内持ち込みサイズよりワンサイズ大きいスーツケースを愛用している。
それに文庫本サイズの本を6種類、各10冊ずつ詰める。計60冊。
固い表紙の付いた本ならそりゃ重たいだろうと予想がつくが、たかが文庫サイズだ。
さしたる質量ではないというのに、腕、肩、腰をぶっ壊しかねないこの重さはなんだ。
紙って本当に重た過ぎる。

そんなことを考えながら移動をしてたら上半身より先にスーツケースの持ち手がぶっ壊れた。
可哀想に。

スーツケースは消耗品か

「スーツケースは消耗品」なんて言葉を聞くが、確かにそうなんだろう。
重たい荷物を軽い力で運ぶための道具は大変便利なものであるが、その重たさが消えたわけではない。
道具が肩代わりしてくれているだけなのだ。字面の通り、私の肩の代わりに。
(↑上手い事言ったつもり)

壊れてしまったから、「消耗品」だなんて言葉に惑わされ買い替えを検討した。
しかしそれを見ていた母から「待った」がかかった。

「取っ手だけ買えるよ」

……そうなんだ。

買い替えの面倒くささ

確かにネットショップを探してみると、様々なサイズのスーツケースの持ち手だけ売られていた。
壊れた持ち手を見てみても、内側からネジ四本で留められているだけですぐに取り外すこともできた。
早速外した持ち手のサイズを測り、同サイズの持ち手を注文した。

アマゾンお急ぎ便で明後日には届くそうだ。

物に溢れている世の中だから、大抵のものは簡単に買い替えることができると思う。
しかし買い替えるとなると、新しいものを選び、購入し、運び、値札を切ったり使い勝手を確かめたりしなきゃならない。
そして古いものを捨てる必要もある。
それら一連の行為を楽しめる場合もあるが、私にとっては割と面倒くさい行為である。

また、物を買い替える際、年長者から窘められる経験を持つ人は少なくないと思う。
「まだ使えるじゃん」「もったいないじゃん」「物ばっかり増えるやん」「ちょっとは使わないもの捨てたら?」
みたいな。

それを煩わしく思う時もあるけれど、今回のスーツケースのように、今まで私が捨てた物の中には自分が思っているより遥かに簡単に直せたものもあった気がする。
それらを無感動に捨ててしまっていたことを少し後悔した。

労力と愛着

現代は物に溢れて買い替えやすい世の中だろう。
反面、物を直して長く使える世の中でもあると思う。
以前は専門店でしか取り扱いがなかったパーツがネットショップで簡単に安く手に入る。
ネット検索すれば修理のノウハウは転がっている。

直す行為の難易度は、以前より下がりつつあるのではないだろうか。

しかしそれが中々できないのは、時間や労力がかかるからだ。買った方が楽なのだ。
だから新しいものを買ってしまうんだろう。

周囲を見渡せば、味気ない代替可能なものにばかり囲まれている。
新しいものを買い続けた結果だ。

せっかく自分の手元に置くものなのだから愛着を持って接したい。
お気に入りの物は気持ちを明るくしてくれるから。

そして壊れてしまった物に愛着があれば、修理の労力と時間の捻出のハードルは一気に下がる。

物に溢れて簡単に買い替えができる世の中だからこそ、自分の手元に巡ってきた物を特別に思える様になりたいと思った。
そんな生活はきっと精神的にとても豊かなものなんだろう。

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