こんにちは。
皆さまはお部屋の片づけ、得意ですか?
私は苦手だし嫌いです。
事の起こり
私の現在の城は箱根の山奥にある、アパートの中の1室です。
狭い部屋に住んでいます。
1人暮らしなので部屋の中でやりたい放題しているのですが、先日ついに客観的意見として「部屋が汚すぎる。」とのご意見をいただく機会がありまして。
ありがたいですね、ほんとに。
主観的に見ても「こりゃ汚すぎるな、ええ、はい。」と納得の出来栄えのお部屋だったので掃除をしました。
掃除をしながら「そういえば小さい頃から掃除が嫌いだったな」ということを思い出しました。
幼少期、姉と住んでた2人部屋について
実家で暮らしていた時は、姉と2人で部屋を使っていました。
と、いってもほとんどの時間は家族と居間で過ごしていたので、寝るだけのための部屋でした。
ベッドと私の物を置いておくための部屋と言えました。
それなのに部屋がきれいだったことはあまりないように思います。
姉もまた片づけが嫌いであったのだと思います。
部屋を片付けるときも、私は大体7割くらいが片付けばもう飽きて他のことを始める始末でした。
物が整頓されるところまでは頑張れますが、掃除機をかけて床を拭きあげるところまでは中々できない。
何事においてもそうなのですが、私の「やった」は成果が見えればOKなところがあって、完璧を目指すほどの熱意をもてないことがほとんどでした。
ここは直さねばならないところなんですが、めんどくささが毎回勝ってしまします。
学校の掃除当番について
真面目でした。愚直に頑張っていた。我ながら。
皆が嫌がる冬の雑巾絞りも率先してやってましたし、机を運ぶのも早かった。
以上のことから私は
「人に見られていれば頑張る。」
という結論を得ました。
部屋は精神を表す、という考え方について
よく聞く「住んでいる部屋は自分の心と同じ」という考え方ですが、私は本当にそのとおりであると思っています。
なぜなら、私がそうだからです。
精神的にきつい時の部屋は混沌としていて、「片づけないと!」という気力が湧きづらいです。
反対に部屋がきれいな時は、毎日ダイエットのために腹筋したり外に走りに行ったり、精力的に活動しています。
身をもって経験しているので間違いありません。
では、逆に、「部屋を綺麗にすれば精神状態が良くなる」という場合も間違いないのではなかろうか。
もしかして最近気分が落ち込みやすいのは部屋が汚いからでは?
このもやもやした気持ちは私のせいではなく、部屋のせいでは?
実際に散らかしているのは間違いなく私ですが、散らかり始めた部屋によって私の気持ちの落ち込みが助長される可能性はあるような気がしてきました。
「部屋さえ綺麗になれば、気持ちも良くなるのでは?」
私は猛然と片づけへのやる気がみなぎってきました。
100パーセントの綺麗さをめざす
片づけましたよ。一気に。
深夜3時を回りましたが、アドレナリンをドバドバ出してやりとげました。
(さすがに掃除機は明日の朝かけますが)
BGMに「天国と地獄」を流すと猛烈にはかどります。
旅先で買ったかわいいオブジェがオブジェとしての機能を初めて果たしているのが感慨深いです。
残念ながら明日から1週間は実家に帰る予定なので、住み心地と心持ちの変化はまた帰ってきたときに検証したいと思います。
掃除は私にとって他人ありきのものだった
BGMに「天国と地獄」を選んだ時、幼少期に姉弟と母としていた遊びを思い出しました。
居間が散らかると母が私たちの背中だか頭の上にあるボタンを「ピ!」と押して、お片付けロボとして働かせる遊びです。
ボタンを押された私たちは天国と地獄のメロディーを口ずさみながら、物をひたすらあるべき場所に戻してゆく、それが終わると母が褒めてくれるだけの遊びでした。
今考えると、母はよく我々子どものことを分かっていて、上手くやるものだなぁと感心します。
対して、姉と私の部屋が与えられたときは、私の性格もそんなに単純なものではなくなっていました。
褒めてもらうだけにお片付けロボとして出動する気はさらさらありませんでした。
めんどくさいですし。
(そもそも母は部屋を片付けるのは当然と思っていたので、でかくなった私が片付けたからといって褒めることなど絶対にしないのでした。そりゃそうだ。)
そう考えると私が掃除ができないことに納得がいきます。
私が純真無垢で小さなかわいい少女だったころ、掃除とは母を喜ばせるためにやることだったのでしょう。
その気持ちはしっかりと性分を形成する脳のどこかに刻まれて、未だにそれは残っています。
だから周りに人がいる場所や共同で使うスペースでは無意識的に整理整頓を心がけることができますが、自分だけしか使わない場所は掃除をする意味を感じられないのだと思います。
はい。きっとそうだと思います。
きれい、汚い部屋のメリットデメリット
今後しばらく人と住む予定はありませんが、意識を改善しないと良くないことは分かります。
これは綺麗な部屋と汚い部屋のメリット、デメリットを考えると明確です。
きれいな部屋のメリット
- 物がどこにあるか分かりやすい
- 人が来ることになってもあわてない
- 思い立ったらすぐ取り組めるスペースが確保されている
- 清潔
きれいな部屋のデメリット
- 使いたいものが遠くにある場合がある
- 使ったものも元の位置に戻す手間がある
- ごみ捨て、洗濯の回数が汚い部屋より多くなる
- 散らかる可能性がある
対して
汚い部屋のメリット
- 動かなくても必要なものは大体近くにある
- ごみ捨て、洗濯の回数が少なくて良い
- 何にもしばられない。やりたいようにできる
- 散らかる可能性を考えなくてよい
汚い部屋のデメリット
- 物がよく見つからない
- 非常時に迅速に行動できない
- 床にものがあるので踏んでバランスを崩すことがある
- 何をやるにもまず片づけなければならない。その結果、同じことしかしなくなる
- 人を呼べない
- 不潔
並べてみると汚い部屋の方が実害が出るのが明らかです。
非常時には最悪死に至るやもしれん。汚部屋に殺され汚部屋で発見される私の死体…。
やだ、汚い。
意識を変える努力を始めよう
「掃除は人のため」という意識を「掃除は自分のため」という意識に改革することが、掃除をできる人間への第一歩だと考えます。
そのためにはある程度の期間、掃除された部屋に住み、綺麗な部屋そのものに価値を見出す必要があると思います。
そしてその綺麗な部屋からの恩恵を一心に受けることで、こんな部屋に住み続けたいと「私自身」が実感しなければいけないのでしょう。
そのためにはまず、目下私の課題は綺麗な部屋の維持になります。
恩恵も感じられず、ただただ面倒くささしか感じないこの期間が正念場です。
ここを乗り切れば、きっと綺麗な部屋の良さを実感し、徐々に「自分のために掃除をする」ことが可能になるのではないでしょうか。
それを期待し頑張ろうと思います。
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