ブログで自分の欠点をちょっと克服できたこと

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雑記帳

本日の箱根は雪模様でございましたね。
最近、きちんと富士山に雪が積もりました。
いつまでも夏のような姿の富士山はなんとなく私を不安にさせていたため、白い富士山を拝みやっと安心いたしました。

完成させる能力の話

ブログをちまちま書いていることで、ちょっと完結させる力がついてきたかなあと思う今日この頃です。

昔、私は美術部に所属していて、そこでは絵や漫画、小説など趣味を極めている人がたくさんいました。
(ただおしゃべりしているだけの部員もたくさんいましたが。そんな雰囲気の部活でした。)

中でも私が尊敬していたのは、きちんと「完結させる人」です。

下手でも、納得いかなくても、作品を完成させている人はすごい。

そして、きちんと完成させる人は、やっぱりその分野の能力に秀でている人が多かったように思います。

私は飽き性であったので、完成させることができませんでした。

いえ、飽き性というわけではなかったかもしれません。

ルーズリーフ両面にびっしりと字を並べた100ページ以上の小説を鋭意製作していました。
ノート4冊に及ぶ長編漫画も描いていました。

上の2つの物語は中学生くさい、「痛い」作品でありましたが、それだけ長いと思い入れも並のものではありません。
いまだに捨てられず、実家の押し入れの奥に眠っています。
怖くて読み返すことはないでしょう。
思い出すだけで恥ずかしくて死にたくなります。

しかし、そのどちらも完結はしていません。

私には完結させる力が欠如していました。

楽しさを過程に見出す力の話

では、なぜ完結させられなかったのでしょうか。

恐らくそれは、私が完結させることよりも「作る過程が楽しい」と思う性質であったからだと考えます。

だから、終わりのない話をだらだらと100ページ以上も書けたのでしょうか。

ゴールに向かってひた走ることをせず、目的のない長い散歩を好む辺りにもこの性質は感じられます。

社会的に「成果をあげられないタイプ」でしょう。

私は自分のこの性質をかねてより問題視していました。

悪かない性格ですが、得にはならない性格です。

とりあえず完結させる

そこでブログをちまちま書きました。

本当は毎日1つなんでもよいから書こうと思っていたんですが、さすがにハードルが高くて無理でした。

しかし、短い記事を完結させるブログは、私に少し完結させる力を身に着けさせたと感じています。

そこで、次にもう少し長い文章を完結させようと思い立ち、小説を書きました。おおよその目標を20000字に定め、文章を書き連ね、校正、足したりけずったりしてさらに校正の繰り返し。

1月10日に書き始めて、なんとか人に読んでもらおうと思えるところまで来たのが1月24日のことでした。

内容は置いときます。
私は完成させられたことに感動しました。

ちょっと進歩してる!進歩してるよ~!

自画自賛甚だしいのは承知でございますが、この件で自分の成長を実感しました。

また次に取り組み始めたこともきちんと完結させたいと思っています。

達成できない私の話

私は、好きな食べ物は最初に食べる派。
RPGゲームはクリアまで一気にやる派。
貰えるものはとりあえず貰っとく派。
爆破ボタンは押してみたくてこっそり指を置いてみたりしちゃう派。

そう、欲求が理性に勝てない派。

どう足掻いても勝てない。

私が物事を完結させられない、達成できない理由は「過程を楽しむ性質」の他に2つ。

1つは完成、達成が大事だと実は思っていないから。

もう1つは、待つことができないから。

人に評価してもらうには、やはり1つのことをやり遂げたり、目標を達成したり、完成した物を示したりすることが不可欠だと考えます。

過程が評価されることも珍しくないですが、その大半は、「結果が望むものではなかった」という前提があるように思います。

達成が大事だと実は思っていない要因

私は幼少期、人からの評価を気にする子どもでした。
当然、そんな子どもが大人になれば、それはもう評価を気にしまくる大人になります。

では、子ども時代に受けた評価が望む評価でなかった場合はどうでしょうか。

私は小学校で学年1番の優等生になりたいと思っていましたし、私にはその素質があると信じている高慢ちきな学級委員長タイプの子でした。

しかし、自己評価とは異なり、並の出来の良さであったため1番になることはありませんでした。
大方、理想の70~80%くらいの出来でした。
まあ頑張ってただけあって「そこそこ」でした。

漫画の主人公とかは、「どうしてあいつに勝てないんだ!!」と、がむしゃらに頑張ったり、「俺はもう疲れた…。諦めた方が楽なんだよ…。」と無気力になったりするんですが、私は評価に大方満足してしまい、いつのまにやらそこを定位置に定めるようになりました。

だから人からの評価は70%くらいの評価で満足なのです。
それは経験上、凡人であると分かっているからでした。

(しかし、未だに1番になりたいし、本気でやればなれると思っている厚かましさは健在です。)

私が物事を達成、完成させることができないのは、おそらく「大体でOK」な精神がしみこんでいるためだと考えられます。

これまでの学校生活などでは「大体」できていれば「大体」満足な評価がもらえました。
悲しいことに社会人になってからは「大体」では評価されません。

待てない要因

やはりこの問題点の要因にも私は幼少期が関わっていると考えます。

私は待てない子どもでした。
欲しいものを後回しにできない。なぜなら盗られるから。

これから、姉弟に知られれば怒られる話をします。懺悔です。

私は3人姉弟の真ん中でした。
姉は年が離れているにも関わらず大人気なく、弟は遠慮する必要がない(多少粗末にしても問題がない)相手でした。

かつて、最も私の関心をしめていたのは食事でした。

小学生の時、母はお菓子を3人分それぞれ皿に分けて出かけることがありました。

私が1番はじめに帰宅すると、まず3人全員分の皿を見比べ、自分の都合の良いように「調整」を行います。
ばれないよう、姉と弟の分に差が出ないように上手くやります。

あとは2人が帰る前に自分の分を平らげます。

また、アイスクリームがあるとします。
5本入りなら私の心中は穏やかです。(私は5人家族)
8本入り、10本入りでもまだおだやか。

では、6、7本入りは?
12本入りは?

私の心中はこうです。

(とりあえず1人1本ずつは確定。その後、1本(もしくは2本)あまるから、これをどうするかだな。
すぐに私が食べれば、犯人が特定されてしまう。(前科があるから)明確に証拠を掴まれたら、信用を無くすし嘘もつきたくない。しかし、放っておくことはできない。
では、冷凍庫の奥深く、食パンやお肉たちのさらに奥に隠しておこう。そうしたら「食べた?」と聞かれても嘘をつかずに「食べていない」と答えられるし、その騒動が終わったらこっそり夜中にでも忍んできていただこう)

待ってはいますね。一応。
いや、待ってはいるけど、がめつすぎやしないか。

残念ながら、私はこういったひと手間加えたずるい方法で余剰分のお菓子をせしめていました。

私にとって、欲しいもの=甘いものでした。
そして私が欲しいものは姉弟も欲しいのでして、私は常に奪われる可能性におびえていました。

これが達成、完成を待てない理由の要因だと考えています。
悠長にしていれば、私がもらうはずの物や栄光が搔っ攫われると思っている。
だからじっと我慢したり、ご褒美を後に残しておくことができないのだと思います。
他にも要因はあると思われますが、これもその1つで間違いありません。

しかし、冷静に過去を振り返ってみると、あそこまでお菓子に執念を燃やしていたのは私だけだったような気もします。

しんどい思い抜きに欠点を克服したい

私は山ほど欠点を抱えています。

今回、ブログを書くことの継続により、多少自分の欠点を克服できたと感じています。
楽な方に流されてしまう欠点もあるので、そう実感できることは珍しく、また素晴らしいことだと我ながら感激ものでございました。

やらざるを得ない状況での欠点の克服ほどしんどいものはありません。

だからこそ、趣味の範囲で楽しく克服していきたいものです。

とりあえず、私は次のゴール、すなわち「完成させる事」を定めてみようと思います。
頓挫しても構いません。
なぜなら私は楽をしたいし、私にしか迷惑が掛からないからです。

ただ、頓挫させないためになるべく「楽しく」「楽に」を意識して挑戦してみたいと思います。

今回、私はその戦法で欠点を克服できたので、次も同じ戦法を用いれば克服可能であると信じています。

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